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2016年04月29日

◆ 願いに生きる ◆

特集総リード
『致知』2016年3月号
特集「願いに生きる」より
────────────────────────────────────

『致知』3月号の特集テーマは
「願いに生きる」。

そこに込められた思いの一端を
本日はみなさんにお伝えします。

人間だけに与えられた
「願いに生きる」という特権。

あなたは、その天与の特権を
生かせることができていますか?

   *   *   *   *   *   *

この世に生を受けた誰もが、
その人なりの願いを持って生きている。

自己一身の名利栄達を
求める願いもあれば、
一切衆生の悩みを救わんと
する大願もある。

人々の抱く願いは千差万別である。

だが、どんな願いであれ、
願いに生きることは尊い。

願いを抱いて生きることができるのは、
人間だけだからである。

「忘己利他(もうこりた)慈悲の極み」
と仏教は教える。

一つの願いが他者をも
幸福に導くものであれば、
その尊さはいや増す。

何を願うか。

どんな願いを抱くか。

その内容が人間の格を創る、
とは多くの先賢が示すところである。




さて、突然になりますが、色々と忙しくなり、
ブログの継続も難しくなってきました。
ずっと見ていただいていた皆様には申し訳ございませんが、
一度、定期のブログを休止させていただきたいと思います。

また、不定期で「独語」アップすることもあろうかと
思います。
その時は、宜しく御願いします。

それでは、失礼いたします。
毎日のご来訪、ありがとうございました。
  

2016年04月28日

◆ 思いやりの心が人を生かす ◆

横田 南嶺(鎌倉円覚寺館長)
『致知』2016年3月号
特集「願いに生きる」より
────────────────────────────────────

あるスポーツ選手と
そのお母さんの実話。

そこには、人間の生きる意味が
シンプルに描かれています。

「人間というものは、
 何か人のために
 尽くすことによって、
 大いなる力を得ていく
 ものなのでしょう」

円覚寺館長・横田南嶺さんの
言葉がすっと入ってきます。

   *   *   *   *   *   *

とりわけ印象深いのが、
盛岡で農業をされている
あるご婦人から毎年届く新米です。

ご婦人とは5、6年前、
円覚寺の坐禅会に参加して
くださったのがご縁でした。

日帰りの会ならともかく、
泊まり込みの坐禅会となると
なかなか修行も厳しく、
女性の参加は珍しいので
何かご事情でもあるのかと思い、
ある時お話をお聞きしたのです。

ご婦人がおっしゃるには、
あるスポーツの選手だった息子さんが
大きな大会で事故を起こして首の骨を折り、
首から下がほとんど動かない
状態になってしまわれた。

絶望した息子さんは、
電動車イスで病院の屋上まで上がり、
飛び降り自殺を図ろうとしたけれども、
体が思うように動かず思い止まったのだと。

しかし、お話を聞いていて驚きました。

その息子さんはそこから大学に復帰し、
さらに一人暮らしを始めたというのです。

ご婦人は

「私はあの子が転んでも
 絶対に起こしてあげないんです」

とおっしゃいました。

体が不自由な子が転べば、
すぐにでも手を差し伸べたいのが
親というものでしょう。

しかし、ご婦人は自分が先に亡くなった時、
息子さんが一人で生きていかなくて
はいけないことを分かっておられたのです。

息子さんにもその思いが伝わったのか、

「自分は母のために生きるんだ。
 自分が暗くなれば、
 お母さんがいつまでも
 辛い思いをしてしまう。
 だから、頑張って生きるんだ」。

そう言っていたそうです。

その言葉のとおり、彼は一所懸命
勉強して運転免許を取得し、
いま地方公務員として
立派に自立しておられます。

ご婦人は私にこう言われました。

「管長さん、私はいろいろ
 苦しんで悲しんで、
 泣くだけ泣きました。
 でも私が子供にできる
 ことはたった一つ。

 一日一日を明るく生きること。
 それだけです。

 もし私が辛い顔をしていたら、
 息子は母が悲しむのは

 自分のせいだと自分を責めてしまう。
 だからこれからも明るく生きていくの」

もし、お二人が自分のこと
ばかりを考えていたら心は
折れていたかもしれません。

しかし、息子さんは母のために生きよう、
ご婦人は息子に辛い思いを
させたくないために明るく生きようと、
それぞれに思いを貫いて生きておられます。

人間というものは、
何か人のために尽くすことによって、
大いなる力を得ていくものなのでしょう。

私は菩提心の発現ともいえる、
この母子の姿からそのことを
教わる思いでした。
  

2016年04月27日

◆ 人間にとって一番大切なもの ◆

渡邊 直人(王将フードサービス社長)
     ×
福地 茂雄(アサヒビール社友)
『致知』2016年3月号
特集「願いに生きる」より
────────────────────────────────────

王将前社長の大東隆行さんが
凶弾に倒れられてから早2年。

その後継者として
陣頭指揮をとってこられたのが、
現社長の渡邊直人さんです。

厳しい時期を乗り越えられた
渡邊さんが実感したという、
人間にとってもっとも大切なものとは。

渡邊さんの人柄が滲み出るような
心に響くいいお話ですよ。

   *   *   *   *   *   *

【渡邊】
もう一つ大きかったのは、
やっぱり不慮の事件を受けて
突然自分が社長になったことです。

先ほども申し上げたように、
当初はもう逃げ出したいくらいの
重圧に見舞われていましたけれども、
翌日真っ先に会社まで
来てくださったのが、
アサヒビールさんでした。

まだ事件の全容も十分掴めていなくて、
リスクがあるかもしれない現場に、
いまの小路社長が役員の方と
ともにお越しくださって、

「アサヒビールはどんなことが
 あっても御社をお支えしますから、
 渡邊社長、頑張ってください」

と言ってくださったんです。

小路社長のお言葉からは、
商売上の取り引きを超えた、
人としての温かみが伝わってきました。

私はあの言葉を一生忘れません。

勇気を与えていただいた出来事は、
そればかりではありませんでした。
事件の直後から、お客様が
どんどんどんどん、
お店に押し寄せてこられて、
大東への線香代わりにうちの餃子を
次々と注文してくださったんです。

お店に行けばスタッフが

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

と感謝の言葉を繰り返しながら、
一所懸命餃子をつくってお出ししている。

「追悼餃子」と報道されて
大きな話題になりましたけれども、
おかげさまでその期は過去最高の
762億円を売り上げることができました。

王将はこんなにも多くのお客様、
そして従業員の皆さんに支えられて
今日まで来られたんだなぁと
改めて実感しましたねぇ。

窮地に立たされた時に人の温かさ
によって救われたことで、
人間には結局そういう
目に見えない思いやり、
愛情というものこそが
一番大事だと実感しましたね。
  

Posted by 木鶏 at 21:00Comments(0)致知(大切なこと)

2016年04月26日

「知恵の蔵をひらく」

 稲盛和夫(京セラ名誉会長)
『活学新書 「成功」と「失敗」の法則』より
────────────────────────────────────

私は技術者として、また経営者として、
長く「ものづくり」に携わる中で、
偉大な存在を実感し、敬虔な思いを
新たにすることが少なくありませんでした。

大きな叡えい知ちに触れた思いがして、
それに導かれるように、
様々な新製品開発に成功し、
事業を成長発展させ、さらには
充実した人生を歩んできたように
思うのです。

このことを、私は次のように考えています。
 
それは偶然でもなければ、
私の才能がもたらした必然でもない。

この宇宙のどこかに、
「知恵の蔵(真理の蔵)」ともいうべき
場所があって、私は自分でも
気がつかないうちに、
その蔵に蓄えられた「叡知」を、
新しい発想やひらめきとして、
そのつど引き出してきた。

汲めども尽きない「叡知の井戸」、
それは宇宙、または神が蔵している
普遍の真理のようなもので、
その叡知を授けられたことで、
人類は技術を進歩させ、
文明を発達させることができた。

私自身もまた、必死になって
研究に打ち込んでいるときに、
その叡知の一端に触れることで、
画期的な新材料や新製品を
世に送り出すことができた
──そのように思えてならないのです。
 

私は「京都賞」の授賞式のときなどに、
世界の知性ともいうべき、
各分野を代表する研究者と
接することがあります。

そのとき、彼らが一様に、
画期的な発明発見に至るプロセスで、
創造的なひらめき(インスピレーション)を
あたかも神の啓示のごとく受けた瞬間が
あることを知り、驚くのです。

 
彼らが言うには、「創造」の瞬間とは、
人知れず努力を重ねている
研究生活のさなかに、ふとした休息をとった
瞬間であったり、ときには就寝時の
夢の中であったりするそうです。

そのようなときに、
「知恵の蔵」の扉がひらき、
ヒントが与えられるというのです。
 

エジソンが電気通信の分野で、
画期的な発明発見を
続けることができたのも、
まさに人並みはずれた凄まじい
研鑽を重ねた結果、
「知恵の蔵」から人より多く
インスピレーションを授けられたと
いうことではなかったでしょうか。
 

人類に新しい地平をひらいた
偉大な先人たちの功績を顧みるとき、
彼らは「知恵の蔵」からもたらされた
叡知を創造力の源として、
神業のごとき高度な技術をわがものとして、
文明を発展させてきたのだと、
私には思えてならないのです。
  

2016年04月25日

「善き思いは善き結果をもたらす」

 稲盛和夫(京セラ名誉会長)
『活学新書 「成功」と「失敗」の法則』より
────────────────────────────────────

素晴らしい人生を送るためには、
「心に抱く思いによって人生が決まる」
という「真理」に気づくことが大切です。
 
十九世紀後半に活躍したアメリカの
啓蒙思想家、ラルフ・W・トラインは、

「あなたが抱く、
どの考えも力となって出ていき、
どの考えも同じ考えを引き連れて戻ってくる」

と説いています。
 
心に善き思いを持ったとき、
それは善き力となって出ていき、
善き結果を連れて戻ってくる、
一方邪悪な思いを抱けば、
それは邪悪な力となって発現し、
悪しき結果を引き連れて
返ってくるというのです。
 
そうだとすれば、私たちが心に抱く
「思い」が、どのようなものであるかが
問われてきます。

幸福で満ち足りた人生を望むならば、
善き思いをベースとして
生きなければならないはずです。
  

2016年04月22日

『志を継ぐ--- 名言集』

上甲晃&鍵山秀三郎・共著
────────────────────────────────────

掃除の神様と松下幸之助の薫陶を受けた
二人が語る仕事と人生の要諦

掃除の神様と謳われる
イエローハット創業者の鍵山秀三郎氏と、
松下幸之助の薫陶を受け、
「青年塾」主宰者として、多くの若者たちを
育ててきた上甲晃氏。

その二人が、仕事と人生の要諦を
語り合った『志を継ぐ』は
ビジネスマンにおすすめの一冊です。

   *   *   *   *   *   *

●人間が飛躍し、成長するのは
 決断した時ですね。
 何もしないでいくら勉強しても
 成長するのは難しいでしょう。
 思い切って決断をすることが大事です。
 その決断も、私心、私利を去った上での
 決断でなければ飛躍できない。


●人間は自分で安全地帯をつくるんです。
 その中にいれば危険もないし、
 安心で安全です。ところがそこから
 一歩出ると途端に危険な目に
 遭ってしまう。遠くへ行けば行くほど
 危険になりますから、結局皆その
 安全地帯の中で人生を送っていく。


●感動というと、どこか遠くの、
 地球の裏側にでも行かなければ
 得られないと思いがちですけれども、
 それは錯覚なんですね。
 もちろんそういう感動もあるけれども、
 目の前のトイレをきれいにするだけで感動できる。


●志には三つの条件がある。
 まず一番に、人生のテーマを持つこと。
 二番目は、生きる原理原則を持つこと。
 三番目は言行一致。
  

Posted by 木鶏 at 21:00Comments(0)名言・金言・格言

2016年04月21日

◆ 失敗のすすめ ◆

大橋洋治(ANAホールディングス相談役)
『致知』2016年3月号
連載「20代をどう生きるか」より
────────────────────────────────────

2010年、国内線と国際線を合わせた
年間旅客数で初めてJALを抜き、
日本一になったANA。

その立役者となったのが、
現在相談役を務める大橋洋治さんです。

大きな夢に心を熱く燃やした
大橋さんの原点に迫る
好評連載「二十代をどう生きるのか」。

   *   *   *   *   *   *

このような失敗を繰り返していたが、
仕事が面白くないとか
辞めようと思ったことは一度もない。

仕事というのは本来楽しいものであるし、
どんなに大変な仕事であろうとも
そこに意義や価値を見出し、
「面白い」「楽しい」と思って
取り組まなければ何も得られない。

そういうバイタリティを持つことこそ、
人生を豊饒に導く
最たるものではないだろうか。

私が携わっている空の仕事には、
晴天の日のフライトもあれば
雨の日のフライトもある。

それと同じように、
人生の旅路においても、
調子のいい時と逆境の時があるだろう。

一つ壁を乗り越えると、
より大きな壁がまた立ちはだかる。

人生というのは
その繰り返しに他ならない。

ゆえに大事なことは、
失敗を恐れないことである。

いまの若い人たちは私の時代と比べて
とても真面目である半面、大人しく、
リスクを背負って挑戦しようとしない。

つまり、失敗しない人が多いように思う。

私はいま、若い人たちが仕事で
失敗しても全く怒らない。

むしろ、

「もっと失敗しろ」

「それだけしか失敗しないのか。
 そういう人間は信用できない」

と発破を掛ける。

失敗してもいいから、
自分に嘘をつくことなく、
これだと信じたことを
一所懸命やり抜く。

その先に人間としての成長がある──。

これは50年以上にわたる
ビジネス人生を通じての実感である。
  

2016年04月20日

◆ 特筆すべき二つの業績 ◆

齋藤 孝(明治大学教授)
『致知』2016年3月号
特集「願いに生きる」より
────────────────────────────────────

その生涯に実に470もの
企業設立にかかわった
大実業家・渋沢栄一。

その数もさることながら、
渋沢栄一の先見性によって
日本の近代化が大きく
前進させた業界があるのを
皆さんご存じでしょうか?

一つはセメント会社、
もう一つは製紙会社
だそうです。

この二つの会社と近代化と
日本の近代化を結びつけた
渋沢栄一の先見性に注目です!

   *   *   *   *   *   *

中でも私が特筆すべきだと思うのは、
渋沢が何社ものセメント会社と、
製紙会社の設立に関わっていることです。

当時の日本は木造建築ばかりでしたが、
近代国家になるために
渋沢が必要だと考えたのは、
頑丈な建物をつくることでした。

建物は木でできているもの
という概念が通底していた
明治期日本において、
渋沢は時代の先を読み、
それならばまずセメント会社が
必要だと思い至り、その後もいくつもの
セメント会社を設立していくのです。

そして、もう一つの重要な業績が、
製紙会社の設立です。

江戸時代までは和紙に筆で
書くことで間に合っていました。

しかし明治に入ると、
いくつもの会社が起こり、
学校制度も定まり、
大量の紙が必要となってきました。

これからはもっと多くの紙が
必要になってくるだろう。

それならば洋紙を輸入するのではなく
国内でつくってしまおうと、
王子製紙の前身となる
製紙会社を設立するのです。

その当時、もっと儲かるものは
何かと考えれば、他にも相応しい
業態はあったかもしれません。

しかし渋沢が第一に考えたのは、
国をつくるためにいま必要なものは何か、
ということでした。

それにしても仮にいま私たちが
「近代国家に必要なものは何か」
と問われて、「セメントと紙」
だと答えられる人が
一体どれだけいるでしょうか。


渋沢は製紙会社を設立する時に

「国家社会の為に此の事業を起こす」

という言葉を残しています。

まさにその信条に徹した渋沢は、
470もの会社の設立に関与しながら
財閥をつくることなど
眼中にありませんでした。
  

Posted by 木鶏 at 21:00Comments(0)致知(大切なこと)

2016年04月19日

◆ 特攻で散った父の思い ◆

服部 剛(横浜市公立中学校教諭)
『致知』2016年3月号
特集「願いに生きる」より
────────────────────────────────────

独特の道徳授業で
生徒たちからも
人気を誇る服部先生。

本日は、その人気の
授業の一部をご紹介!

「こんな授業を子供の頃に
 受けたかった」

そんな声が聞こえてきそうです。

   *   *   *   *   *   *

生徒たちには先人に対する
敬意と感謝の思いも
ぜひ伝えたいと思っています。

そのために取り上げるのが
特攻隊の遺書なんです。


──ああ、重たいテーマですね。


この授業では、

「次の手紙は、あるお父さんが
 娘さんに書いた手紙の冒頭部分です」

と前置きしながら、
最初にそれを読み上げていきます。

「素子、素子は私の顔を
 見てよく笑いましたよ。

 私の腕の中で眠りもしたし、
 またお風呂に入ったこともありました。

 素子が大きくなって
 私のことが知りたい時は、
 お前のお母さん、佳代伯母様に
 私のことをよくお聞きなさい。

 私の写真帳もお前のために
 家に残してあります。

 素子という名前は私がつけたのです。

 素直な心の優しい、思いやりの
 深い人になるようにと思って、
 お父様が考えたのです」

生徒たちには、このお父さんが
どんな人と思うかを自由に発表させた後、
素子さんを抱いている
制服姿の父親の写真を見せます。

その父親は植村眞久さんという
特攻隊員であることを話し、
特攻隊とは何だったかを
説明していきます。

そして、植村さんが
特攻隊員として飛び立つまでの
記録を丹念に辿りながら、
この遺書をどういう思いで
書いたのかを皆に
考えさせていくんです。


──生徒さんはきちんと
  受け止めてくれますか。


授業をやってみて驚いたのは、
否定的な受け止め方をする
生徒はとても少ないことです。

逆に多くの生徒が自分と
それほど年齢の変わらない
若者たちの凜とした生き方に驚き、
普段はやんちゃな生徒までもが
ポロポロと涙を流しながら
聴き入ってくれるんです。

「もっと読みたい。
 遺書はどこに行けば読めますか」

と聞いてくる子も何人もいますね。
  

Posted by 木鶏 at 21:00Comments(0)致知(大切なこと)

2016年04月18日

「願いに生きる――名言集」

『致知』2016年3月号
特集「願いに生きる」より
────────────────────────────────────

・一度やり始めたら途中でやめない。
 人が何と言おうと続ける。
 そういう姿勢でやっていると、
 一見何もないところから
 宝の山が見つかる

片岡 一則(東京大学大学院教授)

 ────────


・人間というものは、
 何か人のために尽くすことによって、
 大いなる力を得ていく

横田 南嶺(鎌倉円覚寺館長)

 ────────


・人間というものは生涯にせめて一度、
 「鬼の口」に飛び込む思いを
 しなければならない。
 そういう機会を持たずに
 人生を終えるのは、
 恥ずかしことだ

土光 登美(土光敏夫の母)

 ────────


・こうなろうという願いを
 心に抱いて最善を
 尽くしていると、
 いつか必ずそれは実現する

福地 茂雄(アサヒビール社友)

 ────────


・失敗してもいいから、
 自分に嘘をつくことなく、
 これだと信じたことを
 一所懸命やり抜く。
 その先に人間としての成長がある

大橋 洋治(ANAホールディングス相談役)

 ────────


・どの分野においても言えることで、
 いくら才能があって、
 努力を積み重ねていても、
 人間的な魅力というのがないと
 一流にはなれません

村上 和雄(筑波大学名誉教授)

 ────────


・普段の過ごし方や心の持ち方、
 考え方など常に前向きにして
 生きていると、そのご褒美を
 もらえる時がある

杉山 愛(元プロテニスプレーヤー)
  

Posted by 木鶏 at 21:00Comments(0)名言・金言・格言

2016年04月15日

「使命感」


野村克也(野球評論家)
『人生を勝利に導く金言』(致知出版社刊)より
────────────────────────────────────

最近興味深く聞いた二つの話があります。
一つは渋沢栄一翁の得意話、もう一つは海軍大臣で
戦前から戦後にかけて学習院院長だった山梨勝之進という人の話です。

山梨勝之進という人は、昭和34年から51年までの間、
82歳から90歳になろうとする頃まで、
海上自衛隊幹部学校で講話を行ったそうです。
一回の準備に三か月もかけたといいます。
講話中は椅子やマイクをすすめられても、一切使わず、メモもなしだった。

「山梨さんはどうしてそんなにお元気なのですか」
と聞かれた際の答えは、こうなんです。

「人間は、使命感がなくなると、頭がボケてしまいます」

この話に、頭をガンと殴られる思いでした。
当時、たかが45歳でベテランなどといっていた自分が
恥ずかしくなりました。
もう、そろそろ野球人生も終わりに近い――なんて、いってられない。
確かに、現役生活は終わりました。
しかし、”野球を人間の営みのひとつとして、追求する作業は残っている”。
その作業を謙虚に正直にやってゆけば、いままで私に野球を
させてくれた人たちへの恩返しができるのではないか、そう思うのです。
  

2016年04月14日

◆ 問題の本質に迫る「小定員学校論」 ◆


占部 賢志(中村学園大学教授)
『致知』2016年3月号
特集「願いに生きる」より
────────────────────────────────────

学校教育をどうすればよいか。

これについては様々な議論が
展開されていますが、
占部先生が提言する
「小定員学校論」は
私たちに新たな視点を与えてくれます。

とても勉強になります。

   *   *   *   *   *   *

【占部】
もう一つ提案しておきたいのは、
学校の児童生徒数を
思い切って減らす案です。

これは、今日しばしば主張される、
学級内の人数を減らせば
よしとするものではありません。


【教師A】
学級内の人数ではなくて
学校全体の定員を
減らすということでしょうか。


【占部】
そうです。

この案は私の
オリジナルではありません。

実は大正時代の後半、
九州帝国大学の地質学の教授で、
教育思想家としても名高い
河村幹雄先生が提言されたものです。


【教師C】
そんな昔の案を取り上げるというのは、
どのようなお考えからなのですか。


【占部】
それはね、当時も今も
本質的に同じ問題を
抱えているからなんです。

大正も後期になる頃は教育は普及し、
中学校の定員は1,200名の大所帯。

しかも、教師の在職期間は
平均2年にすぎなかった。

ですから、人間関係は
薄らぐ一方だったのです。

その結果、何が生じたか。

それは、盗難の横行や
長上に対する反逆といった
モラル崩壊、愛校心の衰退
などが目立ったといいます。

学校というのは家族的な
雰囲気が不可欠なのに、
大規模校になれば学友をまるで
「路傍の石」のようにしか見ない。

すべての問題の根幹はそこにある。

これが河村先生の認識でした。


【教師A】
今を遡る90年前に学校の
モラル崩壊はあったんですね。
驚きです。


【PTA役員】
しかもその原因が一校当たりの
生徒数の多さにあったなんて。

現在は学級定員を
減らすことだけが言われますけど、
学校定員こそ問題なんですね。


【占部】
そうです。対策の眼目は
学校を家族化すること。

そのためには大幅に学校定員を削減する。

これを河村先生は
「小定員学校論」と呼んで
江湖(こうこ)に訴えられたのです。
  

Posted by 木鶏 at 21:00Comments(0)致知(大切なこと)

2016年04月13日

「38年間、願いの中に生きてきた~めぐみさんが教えてくれたこと~」


横田滋&横田早紀江
 &
佐藤佐知典(立川第七中学校教諭)
────────────────────────────────────

最新号から、拉致被害者家族・横田滋さん、早紀江さん、
そしてその活動を支えてこられた佐藤佐知典さんの
鼎談の一部を配信させていただきます。

   *   *   *   *   *   *

(佐藤) 
ご夫妻を乗せて高速道路を走行している時、
早紀江さんが呟くようにおっしゃった
「人生は本当に一瞬で変わりますからね」
という言葉はいまも忘れることができませんね。


(早紀江)
ええ、全くそのとおりで人生は一瞬で変わります。
だからこそ、いま自分がいる環境を大切に生きて


・ ・ ・ ・ ・


(佐藤)
私の教員生活も残すところ4年になってしまいましたが、
私が心に深く植えつけられ、これからも子供たちに
ずっと受け継いでいきたい話があるんです。
それは早紀江さんをお招きした二〇〇三年の第一回講演会で、
早紀江さんが生徒たちと泣きながら握手して
「めぐみを絶対ここへ連れてくるからね」と力強く語りかけられたお姿です。

講演から十二年経ったいまも私はそのことを話し、
生徒たちも作文に書いてくれます。

私は若い頃に高校の講師をやっていた時期があり、
そこで柔道家の古賀稔彦君を一年間教えたことがあるんです。

著しく勉強のできる生徒ではありませんでしたが、
彼が他の生徒と大きく違うのは何事も絶対に諦めないところでした。
全国レベルの選手たちも「古賀先輩だけは違う」といつも言っていました。
実際、彼は最初のオリンピックは3回戦で敗れましたが、
2回目で金メダル、3回目は銀メダルに輝いています。

私は「いのちの授業」でよく、この古賀君の話をするんですが、
拉致問題も同じなのではないでしょうか。絶対に諦めない、信じ切る。
そこから道は開けていくように思うんです。
  

2016年04月12日

◆ 運命的な出会いが人生をつくる ◆


稲盛和夫氏(京セラ名誉会長)
『致知』2013年12月号
特集総リード「活路を見出す」より
────────────────────────────────────

京セラ、KDDIを1兆円企業に育て、
経営破綻に陥った日本航空を
わずか3年足らずで再建した
稀代の名経営者・稲盛和夫氏。

氏の人生のベースとは何なのか――。

   *   *   *   *   *   *

『致知』創刊35周年記念式典の基調講演は
 京セラ名誉会長・稲盛和夫氏による
「運命的な出会いが人生をつくる」であった。

氏は27歳で京セラを、
50歳では第二電電を創業された。

両社は現在、それぞれ売上高1兆円、
3.5兆円を超す巨大企業となった。

加えて、破綻に陥った日本航空の再建を
依頼され、就任1年で1000億円の
黒字を計上、2年8ヶ月で再上場を
果たした。

実績は讃えて余りある。

その稲盛氏が1時間15分、
淡々とした口調で一貫して説かれたのは、

自分の今日あるは
人生のいろいろな局面で出会った
多くの人たちのおかげ、ということだった。
 
家庭の事情で進学は諦めていたのに、
担任の先生がご両親を説得してくれたこと。

京セラ創業時には家を担保にして
協力してくれた人があったこと。

そういう
「運命的な出会い」
のおかげで自分の人生はある、
決して自分一人の力で
今日があるのではない──。

人生に活路を見い出していくには何が大事か。

稲盛氏のお話はその要諦を端的に示している。


氏が

「謙虚にして驕らず」
「才能を私物化しない」

を信条としてきたのも、
あまたのおかげの思いがあるからである。

大事業を成し遂げたいまもなお、
その原点を忘れない氏の姿に、
私たちが汲み取るべきものは多い――。
  

2016年04月11日

◆ 土光敏夫の母・登美の教え ◆


出町 譲(作家・ジャーナリスト)
『致知』2016年3月号
特集「願いに生きる」より
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土光敏夫。

言わずと知れた
戦後日本を代表する経済人です。

その多大なる功績に関する
著作は多く世に出ていますが、
母・登美の存在はほとんど
知られていません。

土光登美。
最新号の『致知』では、
登美さんの一生を
凝縮してお伝えしています。

ほんとうにすごい方ですよ。
その登美さんの教えを紹介します。

   *   *   *   *   *   *

ある映像が残されている。


昭和61年11月5日、
行政改革の旗振り役だった土光敏夫に、
民間人として初めて生前に
授与されることとなった、
勲一等旭日桐花大綬章の授章式の様子だ。


皇居宮殿の正殿に現れた
当時90歳の土光は、
式部官に車椅子を押されていた。

ところが勲章を渡そうとする
昭和天皇を前に、土光は車椅子から
何度か立ち上がろうとする。

おそらく昭和天皇に対して、
自分が車椅子に
座ったままでいることを
失礼だと思っていたのだろう。

前月に頭部の手術を受けるなど、
土光の体は既に立つことすら
ままならない状態だっただけに、
私はその姿に心打たれる思いで見ていた。

この叙勲に関して、
土光は次のようなコメントを残している。

「私は『個人は質素に、社会は豊かに』
 という母の教えを忠実に守り、
 これこそが行革の
 基本理念であると信じて、
 微力を捧げて参りました。

 幸い国民の皆様の
 理解と協力を得られ、
 私の役目をつつがなく
 了えることができました。

 今回の受章を国民の皆様と共に
 心から喜びたいと思います。
 ……(以下省略)」

大企業の社長として
次々と手腕を発揮し、
後に行革を通じて国家の再建に
死力を尽くした土光にとって、

「個人は質素に、社会は豊かに」

という母の教えは、
いわば最大のポリシーだったのだろう。

人生最後の晴れ舞台で
母の教えを語るということは、
それほどまで母の存在が
土光敏夫という一人の人間にとって
大きなものであったと
窺い知ることができる。
  

2016年04月08日

◆ 登呂遺跡が日本人に残したもの ◆


大塚 初重(考古学者)
『致知』2016年3月号
連載「生涯現役」より
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戦後、夢を失いかけていた
日本人に夢とロマンを与えてくれた
遺跡の大発掘がありました。

教科書にも必ず出てくる
あの登呂遺跡です。

当時の熱気が伝わってくる
考古学の第一人者・大塚先生の
お話に胸が熱くなります。

   *   *   *   *   *   *

指示されたところを掘っていくと、
木の杭が次々と出てくるんですよ。

でも最初はまさかそれが
2,000年前の杭とは思わないわけだけど、
どうやら弥生人が遺した
住居の周りに打ち込んでいた木だ
ということが分かってくる。


我われの先祖が、
静岡平野の一角で山から
伐り出してきた木を
打ち割って細かい杭にして、
それを住居の周りの壁に営々と
打ち込んでいたものを掘っているとね、
だんだん涙がこぼれてきた。
  

──涙が。


日本は戦争に負けたんだけど、
遠い昔からこの地に
我われ日本人が住んでいて、
その跡をいま自分たちの手で
掘り出しているんだという感動は、
お金とか食べ物とかってことと関係なく、
心が綺麗に洗われるような思いでした。


──遺跡の発掘が夢を
  与えてくれたわけですね。


実際、登呂遺跡の発掘というのは
戦後日本における最初の大発掘でね。

昭和22年の7月13日に発掘が始まって、
翌月6日には皇太子殿下が
現場に来られているんですよ。


そうしたら皇太子殿下が
見に行かれたというので、
今度は代議士たちも
10何名で見学に来ましてね。

その後も歌人の佐佐木信綱先生とか
有名な作家さんをはじめ、
全国から見学者が次々と
発掘現場に訪れたんです。


──それはすごいですね。


だからこんな遺跡、他にはないですよ。


そういう意味で登呂遺跡の発掘が
日本人の心に触れたというか、
敗戦国日本に生き甲斐を
与えたのではないかと
いまでも思っているんです。

それに国民全体がこれから
どうやって生きていけばいいのか
という時期に、東京の各大学が合同して、
食い物も十分にない中で
学生たちがすきっ腹で懸命に
掘っているということが、随分と
国民に感動を与えたようですね。
  

Posted by 木鶏 at 21:00Comments(0)致知(大切なこと)

2016年04月07日

◆ 坂村真民先生の心に響く言葉 ◆


坂村 真民(仏教詩人)
『坂村真民一日一言』(致知出版社)
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いまなお多くの人の
心のよりどころとなっている
坂村真民先生の詩の数々。

真民先生もまた、
月刊誌『致知』にとって
いまも大きな存在で
いらっしゃいます。

本日は、そんな真民先生の
詩の中から5つを選びました。

一つでも、皆さんの心に
響くものがあればと思います。

   *   *   *   *   *   *


【4月17日】──────

かすかな
光であっても
ちいさい
花であっても
自分のものであれば
最高であり
最大である



【6月24日】──────

生きていればこそ
会えないひとにも会え
ふしぎな契(ちぎ)りを
結ばせていただき
こんな嬉しいことはない



【8月30日】──────

美しい花より
よい香りを持つ
花がいい

美しい人より
よい性質の
人がいい



【11月1日】──────

悲しいことは
風と共に
消えてゆけ
嬉しいことは
潮(うしお)のように
響かせよ



【6月17日】──────

最高の人というのは
この世の生を
精いっぱい
力いっぱい
命いっぱい
生きた人
  

Posted by 木鶏 at 21:00Comments(0)名言・金言・格言

2016年04月06日

◆ 天が味方をしてくれる生き方 ◆


杉山 愛(元プロテニスプレーヤー)
    ×
村上和雄(筑波大学名誉教授)
『致知』2016年3月号
連載「生命のメッセージ」
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小柄な体格ながら
17年間の現役時代に
世界ランキング
シングルス8位、ダブルス1位
という日本人屈指の記録を残した
元プロテニスプレーヤー・杉山愛さん。

そんな杉山さんに
現役時代のことを含めて
お話を伺っています。

   *   *   *   *   *   *

【杉山】
そうですね。
自分のすべての力を出せた試合でした。

試合で何が一番大事かっていうと、
やはり自分の力をどこまで
出せたかにあると思うんです。

たとえ負けたとしても、
自分の力を出し切って
負ける試合というのは、
どこかちょっと
清々しさがあります。

出し切るということは、
何が自分に足りないかが明確になって、
次はここを磨けばよりよいプレーに
なるだろうというヒントを
与えてくれるわけですから。
 
それだけに自分のすべての力を
出し切って勝てたというのは
本当に嬉しかったですね。


【村上】
そういうすごい試合をされるには、
もちろん才能とか実力も
あると思うのですが、
そういうものを超える何かが
あるような気がしたことはありますか。


【杉山】
それはしますね。
何かこう違う力というか。


【村上】
天が味方をしてくれるとか。


【杉山】
そういったエネルギーみたいなものを、
勝利の女神と言うのではないでしょうか。

もっともどれだけ足掻いても、
振り向いて微笑んで
くれないこともありますけど、
普段の過ごし方や心の持ち方、
考え方など常に前向きにして生きていると、
そのご褒美をもらえる時があると思います。


【村上】
それは科学の世界にもあるんですよ。

細菌学者パスツールが

「チャンスは備えのあるところに訪れる」

と言っているように、
勝利の女神が微笑むには
それに見合った準備が必要で、
そこに理屈を超えた
天の味方みたいなものが現れると。
  

2016年04月05日

◆ 人生をひらく5つの名言 ◆


『小さな人生論 ポケット名言集』
(致知出版社)より
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致知』の珠玉の教えを
凝縮して一冊の本にした
『小さな人生論 ポケット名言集』。

言葉とともに、そこに込められた
「言葉の力」をお届けします。


   *   *   *   *   *   *


人物とは言葉である。

日頃どういう言葉を口にしているか。
どういう言葉で世界をとらえ、
世界を観ているか。

その言葉の量と質が人物を決定し、
それにふさわしい運命を招来する。

運命を拓く言葉の重さを
知らなければならない


   ──────


一人で
発光している人はいない。

どの人も
人の愛を受けて光っている。

人は
人によって輝くのである


   ──────


人生をひらくとは
心をひらくことである。

心をひらかずに
固く閉ざしている人に、
人生はひらかない


   ──────


強く生きるとは、
「主体的に生きる」
ということだろう。

状況に振り回されるのではなく、
状況をよりよく
変えていく生き方である。
「覚悟を決めて生きる」
と言い換えることもできよう


   ──────


人間はそれほど
強いものではない。

苦しいこと、悲しいことに
胸ふさがれる日もある。

気力が萎える時もある。

そういう時、
どういう言葉を口ずさんでいるか。

それが運命を左右することもある
  

Posted by 木鶏 at 21:00Comments(0)名言・金言・格言

2016年04月04日

◆ 森信三先生の人生を照らす言葉 ◆

森 信三(国民教育の師父)
『森信三一日一語』(致知出版社)
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月刊誌『致知』にとって
欠かせない存在の一人、
森信三先生。

いくたの試練を越えられた
森先生の言葉には
どれも迫力がありますが、
その残された言葉の泉の中から、
本日は常日頃から
大切にしたい言葉をお届けします。

   *   *   *   *   *   *


【6月23日】──────

幸福とは、
縁ある人々との
人間関係を噛みしめて、
それを深く味わう
ところに生ずる
感謝の念に他なるまい



【12月14日】──────

これまで親の恩が
分からなかったと解(わか)った時が、
真に解りはじめた時なり。
親恩に照らされて来ればこそ、
即今自己の存在はあるなり



【2月24日】──────

縁は求めざるには生ぜず。
内に求める心なくんば、
たとえその人の面前にありとも、
ついに縁を生ずるに到らずと知るべし



【5月26日】──────

感覚を新鮮にするには、
つねに異質な物を媒介として
自己を磨く必要がある。
でないと感覚はいつしか鈍磨して、
マンネリ化する恐れがある



【6月17日】──────

如何(いか)にささやかな事でもよい。
とにかく人間は他人のために
尽くすことによって、
はじめて自他共に幸せとなる。
これだけは確かです
  

Posted by 木鶏 at 21:00Comments(0)名言・金言・格言