2012年04月26日
「保育の神様とひとりの少年」~致知~
『致知』2008年6月号 特集「人生の道標」より
斎藤公子(さくら・さくらんぼ保育園創設者)
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「リズムあそび」という独自の保育方法を確立、実践し、
健常児だけでなく、多くの障害のある子どもたちを
自立へと導き、「保育の神様」と呼ばれた斎藤公子さんのお話です。
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保育の仕事に携わって約60年。
この間、健常児以外にも、父親が自分の娘に生ませた子どもを
生まれてからずっと押し入れに閉じこめていたり、
貧しさゆえに客商売をしていた母親から障害を持って生まれた子どもなど、
実にいろいろな子を預かってきました。
しかし、入園希望を断ったことはありません。
保育は命を預かる仕事です。常に命懸けで臨んできました。
それだけに一人の人生が花開いた時の喜びは、
それまでの苦労を忘れさせてくれるものです。
私は一度、大声をあげて泣いたことがあります。
「さくら保育園」を立ち上げて間もない頃、
骨と皮だけのように痩せこけた東京の乳児を、
ある事情で預かることになりました。
その乳児を私は毎晩抱きしめて眠らせ、
その子もまた私をとても慕うようになりました。
ところが、年長になった時、その子の父親が突然来て、
連れて帰ったのです。
親権がある以上、どうしようもありません。
私は体が引き裂かれるようでした。
グッと我慢したものの、ついに堪えきれなくなって我が家に帰り、
人知れず大声で泣いたのです。
その子がすっかり見違えた少年になって
久々に園に顔を出してくれたのは中学生の時でした。
以来、時々園を訪れては園児と遊んでくれるようになりました。
さらに時を経て、成人したその子からある時、連絡が入りました。
結婚するので主賓の席に座ってほしいという通知でした。
私は喜んで出席し、スピーチでは自分が大泣きした時の話をしました。
彼は私の話を神妙な表情で聞いていましたが、
式が終わり皆を見送るや、私に駆けより
抱きついて泣きじゃくるのです。
見ると彼の奥さんも泣いていました。
長年の胸のつかえが取れたのに違いありません。
いつまでも私の心に残るさわやかな思い出の一つです。
Posted by 木鶏 at 21:00│Comments(0)
│致知(感動話)