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2012年06月20日

「詩人・桜井哲夫との出会いから学んだこと」~致知~


◎昨日ブログに続き、桜井さんの致知記事です。


『致知』2003年3月号 特集「縁尋機妙」
  金正美(エッセイスト/字幕制作ディレクター)         
────────────────────────────────────
《 この病気が神様に出会わせてくれた 》
哲ちゃんは青森の裕福なリンゴ園に生まれ、
豊かな少年時代を過ごしたそうです。
ところが高等小学校の体操の時間、腕が曲がらないので
保健室の先生にみてもらったところ、ハンセン病であることが
判明しました。

「治ったら必ず帰ってこれるから」という母親の言葉を信じ、
希望をもって弘前駅を旅立ち、療養所へやってきたのです。
17歳の時でした。しかし当時は薬などなく、
療養所といってもただの隔離施設です。
多くの患者は絶望し、自殺者が後を絶たなかったそうですが、
哲ちゃんは「たとえ明日死ぬとしても勉強したい」と思い、
なけなしのお金で文学全集を買って勉強したと言います。
その後も仏教哲学を学び、唯識論や鈴木大拙(だいせつ)、
西田哲学の本などを読み漁(あさ)りました。

しかし、哲ちゃんの病気は次第に悪化していきます。
早く病気を治して家に帰りたい。
その一方で、このまま一生ここで生きるのかもしれないとの
思いがよぎり、どんなに仏教や哲学を学んでも
自分の人生を受け入れることができないでいたのです。
しかし、ある時哲ちゃんは悟ります。
ここで生きていくことを変えることはできない。
ならばここを自分の「まほろば」にして生きていかなければならない。
家族や幼なじみ、故郷を振り切って、すべてを受け入れる覚悟を
決めたのです。


 【天の職】 桜井哲夫

   お握りとのし烏賊と林檎を包んだ
   唐草模様の紺風呂敷を
   しっかりと首に結んでくれた

   親父は拳で涙を拭い低い声で話してくれた
   らいは親が望んだ病でもなく
   お前が頼んだ病気でもない
   らいは天が与えたお前の職だ

   長い長い天の職を俺は素直に務めてきた
   呪いながら厭いながらの長い職
   今朝も雪の坂道を務めのために登りつづける
   終わりの日の喜びのために

       (第一詩集『津軽の子守唄』より)


哲ちゃんは自分の顔が好きだと言います。
「俺は自分の顔に誇りを持っているの。
目が見えないからよくわからないけど、
この顔には苦しみや悲しみがいっぱい刻まれていて、
崩れちゃっているけどいい顔なんじゃないかな。
エステに行ってもこの味わいは出せないよ。
でもこの顔で泣いてばかりいたら目も当てられないから、
いつも笑っているんだ」
また、「らいになってよかった」とも言います。
私は時々、そうじゃない人生のほうがよかったのではないかと
考えてしまいますが、哲ちゃんは心からそう思っているのです。
しかし、哲ちゃんがそう思えるようになったのは、
本当の試練を味わった「空白の十年間」の後のことです。

哲ちゃんは22歳の時、園内で知り合った真佐子さんと結婚しました。
当時の優生保護法では「らい及び伝染病患者の子孫は残さない」
とされ、結婚の条件として断種手術が義務づけられていました。
ところが、哲ちゃんの手術は失敗したらしく、真佐子さんは妊娠。
すでに6か月経過していて、堕胎した子どもはすでに人の姿を
していたといいます。
2年後、真佐子さんは白血病でなくなりました。
愛する人を立て続けに失った哲ちゃんを、さらに病気が苦しめます。
何日も高熱にうなされ生死をさまよい、
なんとか一命を取り留めたものの眼球を摘出。
今度は光を失いました。その時、哲ちゃんは30歳。
その後の十年はほとんど部屋から出ず、人との付き合いも
なかったそうです。

いまでもその「空白の十年間」のことを語りたがりませんが、
一度だけ話してくれたことがあります。
「あの時、この世に神様なんかいるもんか、もしいるとしたら、
なんで俺ばっかりこんなに苦しめるのかって、毎日考えていた。
でも、ある時、おれはこんな状況に置かれなかったら
きっと神様のことなんて考えなかった。
もしかしたら神様は、俺をこの病気にすることで、
その存在を知らしめようとしたんじゃないかなあって思えたの」
その後哲ちゃんは洗礼を受け、
これまでの思いを誰かに伝えるために詩を作り始めます。
目も見えず、指も失った哲ちゃんは、頭の中だけで完璧な詩を作り、
それを園の職員に代筆してもらって、「日本で最後のらい詩人」と
呼ばれるようになったのです。


 【おじぎ草】   桜井哲夫

   夏空を震わせて
   白樺に鳴く蝉に
   おじぎ草がおじぎする

   包帯を巻いた指で
   おじぎ草に触れると
   おじぎ草がおじぎする

   指を奪った「らい」に
   指のない手を合わせ
   おじぎ草のように
   おじぎした。

    (第四詩集「タイの蝶々」より)



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