2012年07月31日
「子どもたちは花の種」(前編)~致知~
『致知』2005年4月号掲載
水谷修(元高校教諭)
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「夜回り先生」と呼ばれ、
青少年の非行や薬物汚染拡大防止に活動を続ける
水谷修氏の原点となる、
ある少年との逸話をご紹介します。
* * * * * *
■マサフミという少年
よく薬物の専門家たちは
「真面目な子ほど、薬物を真面目に使って死んでいく。
心に傷がある者ほど、その傷を埋めるために
必死に使って死んでいく」と言います。
マサフミもそんな少年でした。
マサフミがいなかったら僕は薬物と闘っていなかっただろうし、
ある意味では幸せだったかもしれない。
彼は高校生の入学生にもシンナーを吸ってくるほどの依存症で、
僕が夜回りで見つけた時も、夜の公園で空き缶を使って
シンナーを吸っていました。
なぜか最初から気が合って、その日、空が明るくなるまで
語り合っていました。
彼は幼い頃に暴力団抗争で父を亡くし、以来母親と2人で
6畳1間、風呂なし、トイレ共同の木造アパートに住み、
貧しいながら幸せに暮らしていました。
母親思いでね、小学校の時は学級委員をやるほど
真面目で優秀だったそうです。
ところが、5年生の時、母親が過労で寝たきりになり、
生活が一変してしまう。
電話、電気、ガスは止められ、
食べ物にも困るようになった。
マサフミはコンビニを1軒1軒回り、
「僕の家は貧しいから、
捨てるお弁当をください」と頼んで歩いたそうです。
ほとんどが
「余ったお弁当は業者に戻さなければならない」と断る中、
遠くの町にある1軒だけが、
「弁当を戻すのは午前2時だよ。
そんなに遅くに来られるかい?」と言ってくれた。
その日から午前零時に家を出て、
捨てる弁当を貰いに行きました。
しかし、親子2人、当然弁当1つでは身が持ちません。
マサフミは給食のおばさんに
「公園の犬に餌をやるから」と嘘をついて、
余ったパンと牛乳をもらうことにしました。
ところが、子どもたちは敏感です。
彼が給食の余りをもらっていることはすぐに同級生に知れ渡り、
それから猛烈ないじめが始まった。
一番辛かったのは、帰り道に公園に連れていかれ、
せっかくもらったパンを地面にばらまかせ、
ことごとく踏みつけられた時だったとは言っていましたね。
* * *
■「水谷先生ーっ、冷てぇぞ!!」
そんな状況を見かねて助けてくれたのが、
同じアパートに住む暴走族でした。
暴力で同級生たちを抑え込み、
マサフミは6年生からその仲間となった。
母親は
「息子が暴走族になったのは自分が病に倒れ、
貧しい暮らしをさせたせいだ」と自分を責め、
自分を責める母親を見るとマサフミはますます辛くなった。
そこから逃れるためにシンナーに手を染めていったのです。
公園で会った次の日、
学校へ来たマサフミは僕の顔を見るなりこう言いました。
「先生、俺シンナーやめるよ。
昨日からいろいろやめ方を考えたんだけど、
いい方法を思いついた。
先生と一緒に暮らしたら吸えないよな」
「そうだな。いいよ、今日から家に来い」
そうして1週間、10日間、僕の家で暮らすと、
「もうシンナーやめれれた。母ちゃんが心配だから家に帰るよ」
と言って帰っていく。
しかし、2、3日後には、夜中に泣きながら電話をして、
「俺、また使っちゃったよ。
体が勝手に動いて、先輩の家からもらってきた……。
先生、俺のこと嫌いになる?」
「いいよ、きょうから家に来い」
そうして1週間、10日間、僕の家で暮らすと、
「もうシンナーやめられた。
母ちゃんが心配だから家に帰るよ」
と言って帰っていく。
しかし2、3日後には、夜中に泣きながら電話をして、
「俺、また使っちゃったよ。
体が勝手に動いて、先輩の家からもらってきた……。
先生、俺のこと嫌いになる?」
「いいよ、しょうがないよ。
また明日から家に来い。
焼き肉してやるよ」
そしてまた僕の家に来る。
その繰り返しでした。
6月も下旬を過ぎた頃、授業を終えて教室に戻ると、
マサフミが新聞の切り抜きを持って待っていました。
「俺、やっぱり先生じゃシンナーやめられない。
この新聞に載っている
『神奈川県立精神医療センターせりがや病院』ってところは、
シンナーや覚せい剤をやっている10代の子を治してくれるんだって。
連れて行ってよ」
僕はカチンときました。
こんなにしてやっているのに、俺じゃダメだって言うのか。
そう思うと、腹が立って仕方がなかった。
だから、その日僕は冷たかった。
「分かった。
連れていってやるよ。
でも今週は忙しいから来週だ」
そう答えると、マサフミは
「きょう先生の家に行っていい?
行っていい?」
とまとわりついてきました。
でも僕は、その日は一緒にいたくなかった。
だから嘘を言いました。
「ダメだ。
きょうは神奈川県警と山下公園の公開パトロールをするから、
おまえを連れていけない」
そう言って、夜10時頃、彼を騙して追い返したんです。
マサフミはエレベーターホールへ向かって歩きながら、
何度も何度も僕を振り返って、
最後に一言叫びました。
「水谷先生ーっ、冷てぇぞ!!」
それが最後の言葉でした。
(つづく)
Posted by 木鶏 at 21:00│Comments(0)
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