2012年08月24日
「謙虚さと信頼が事業の発展を促す」~致知~
『致知』2012年6月号「致知随想」
重吉勉(日本財託グループ社長)
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私が独立して不動産会社を立ち上げたのは平成2年、
27歳の時です。
ちょうど日本全体が豊かさに浮かれていた頃で、
それまで私が勤めていた大手不動産会社の先輩たちも
部下を引き連れて次々に起業。
かわいいレースクイーンと一緒に
クルーザーを乗り回しているかと思えば、
決算対策でヘリコプターを買ったり、
高級マンションを手に入れたり。
その姿は私の目に
人生の理想そのもののように映っていました。
独立を決めたのは、そういう先輩たちに
憧れを抱いたからにほかなりません。
そして東京で成功するというのは、
こういうことなのだと信じて疑いませんでした。
拝金主義に陥ってしまっていた私が、
地獄のような現実と直面するのは、
まさに独立の直後でした。
政府が発した突然の総量規制によってバブル経済は崩壊、
羽振りのよかった先輩たちの会社が次々に破綻に追い込まれ、
当社の資産も瞬く間に底を突き、
7人の社員に給料が支払えなくなってしまったのです。
私は廃業を覚悟せざるを得ませんでした。
同年12月の最後の営業日。
きょうは大掃除をして、
せめて元気に打ち上げをやろうと思って、
朝目を覚ましました。
ところが、どうしても布団から起き上がれないのです。
このまま会社を潰してしまうのかと思った途端、
堪えていた涙が堰を切ったように流れ落ち、
路頭に迷わせてしまうことになる社員や家族の将来を考えると、
「申し訳なかった」
「独立などしなければよかった」
という激しい後悔の念に襲われました。
私はこの日、家に閉じこもったまま
会社に足を運ぶことができませんでした。
ところが、失意の私を訪ねてくれた人がいました。
ほかでもありません、出社しないことを心配した
7名の社員たちでした。
彼らは私を責める素振りはいささかも見せず、
「まだ終わったわけではありません。
一緒に頑張りましょう」
と逆に力づけてくれたのです。
この出来事は終生忘れることができません。
社員たちの温かい言葉に大きな勇気を得た私は
「経営は破綻寸前でも命まで取られることはない。
死ぬ気になれば、なんでもできるはずだ」
と、いま、この時に生まれ変わることを決意しました。
バブル崩壊後、業界が軒並み厳しい状況にある中、
共通して生き残った不動産会社がありました。
バブルの波に踊らされることなく
堅実な経営を続けていた管理会社でした。
管理会社は、ビル管理だけでなく、
不動産に投資して収入を得ようとするオーナー様と、
賃貸入居者の皆様を取り持つことも大切な役割です。
派手さはなくても、コツコツと取り組んでいれば
固定収入が得られ、経営は安定します。
そこに不動産業の原点を感じた私は
「これからは管理会社に徹しよう」と決意したのです。
Posted by 木鶏 at 21:00│Comments(0)
│致知(リーダー論)