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2012年10月24日

「徳永先生のエピソード」(後編)



(前編)からのつづき

東井義雄 著 『拝まない者もおがまれている』より
────────────────────────────────

 翌日、私の家へ帰り着いたときには、夜半一時を過ぎていましたが、
妻はまだ眠らずに私を待っていてくれました。
 私は、座敷へ上がるなり、
「おまえ、すまんけどうつ伏せになってくれよ」
と頼みました。
「何をなさるんですか?」
「まあ何でもいいからうつぶせになってくれよ」
というものですから、妻はけげんな顔をしながらうつ伏せになりました。
「これからおまえの足の裏をもませてもらう」
「足の裏なんかもんでもらわんでも結構です。こんなに遅いのに、
そんな冗談いっていないで早くやすんでください」
「いや、どうしても、おまえの足の裏をもまねばならないことに
なってしまっておるんだ」
と申しまして、無理やりにうつ伏せにさせました。

 徳永先生が、まずはじめに拝むんだとおっしゃったことを思い出しました。
こんな足、拝むねうちもないと思いましたが、仕方ありません。
拝む格構だけして、いやがる妻の脚をおさえたがら足袋を脱がせて
やりましたらギョッとしました。
妻をもらって三十八年、妻の足の裏を見たのははしめてでした。
もう少しかわいらしい足の裏を期待していたのですが、
まあなんというがめつい足の裏でしょうか。
 私はとっさに、
「熊の足の裏というのはこういうのではないかなあ」
と思いました。

 町の寺の娘に生まれて、大事に大事に育てられた妻でした。
私のところに来てくれたときには、もう少しはかわいらしい
足の裏をしていたにちがいありません。
それが、私のところのような山の中の貧乏寺に嫁いできて、
毎日々々、けわしい山道を薪を背負いに通い、山道いっぱいに
広がっている岩を、滑らないように、指の先に力を入れて、
踏みしめ踏みしめ、何十年もしているうちに、こんな足の裏に
なってしまったのかと思い、畠のことなんか見ようともしないで、
出歩いてばかりいる私に代わって、畠を耕やし、こやしを運びしているうちに、
こんな足の裏になってしまったのだろうかと思い、ひょっとしたら、この女は、
私のために生まれてきてくれた女であったのではなかろうかと思ったり
しながらふと気がついてみると、いつの間にか、本気になって、
妻の足の裏を拝んでいました。
そして、ほんとうの妻に、はじめてであったような感動を覚えました。




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