2012年11月05日
「最も強いインパクトを持つもの」
『致知』2012年8月号 連載「20代をどう生きるか」より
斉須政雄(「コート・ドール」オーナーシェフ)
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東京でフランス料理店「コート・ドール」を開いて26年。
小中学校の同級生には、私が料理人という
職業人になっていることが納得し難いらしく、
「本当にあの時の斉須か?」と怪訝そうに尋ねられる。
当時の私はそう言われても仕方がないほど、
周りに流されがちの優柔不断な少年で、
常に自己嫌悪や挫折感に苛まれていた。
甘い物が好きだという単純な理由で
料理の世界に入ったものの、
最初のうちは何が何やら分からない。
先輩方から集中砲火を浴びるが、
怒られている意味さえ分からず、
常に喉がカラカラの状態だった。
しかしいつまでもこの壁の前で
立ち尽くしているわけにはいかない。
なんとか状況を打破したいと起死回生を懸けたのが、
フランスへ行くという決断だった。
チャンスが訪れたのは23歳の時。
知人の勧めで新しくできた店に面接に行ったが、
希望した条件では受け入れてもらえない。
もう一度その知人に相談したところ、
「提示されたとおりの条件でまず店に入って、
オープン前にフランスから料理長が技術指導に
来るから、その人をつかまえろ」
と助言を受けた。
同じ時期にフランス行きをアピールしていた人は
他にもいたはずだが、選ばれたのは私だった。
その理由を料理長が後に教えてくれた。
昼のサービスが終わると彼は必ず洗い場で手を洗うのだが、
そこは洗うべき鍋がいっぱいで、
私は料理長が手を洗う所だけでもきれいにしようと心掛け、
鍋を洗い場の下のスペースに片づけておいた。
そのことを評価してくれたのだった。
いまとなれば、彼が私を選んだ理由がよく分かる。
一つひとつの工程を丁寧にクリアしていなければ、
よい料理を作ることなどできない。
そのちょっとした気遣いができるかどうか。
だが日頃やらないようなことを急にやっても、
そんなものはすぐ見破られてしまう。
私は殊更何をしたわけでもなかったが、
特別ではないことこそが最も強いインパクトを持つのだと、
後年実感するようになった。
Posted by 木鶏 at 21:00│Comments(0)
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