2013年06月17日
【私が今、すべきこと】
山村洋子(研修プロジェクト「Tea Time Network」主宰)
致知 web限定随筆「筆のしずく」より
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今にも小雪が舞い降りてきそうな寒い朝に、
母が旅立ちました。
私の人生の中で、最も辛い別れでした。
訃報を知らせる親族もなく、ひとりで通夜をし、
参列者のいない葬儀を執り行って、そして、火葬場から
母の遺骨を抱え、ひとりで自宅に帰ってきました。
斎場の風は冷たく、心細く・・・。
それでも、あの曇り空で氷雨こそ降らなかったのが、
せめての救いでした。
ゆっくりと押し寄せてくるものに、身をゆだねながら、
きょうもひとりで時を見過ごしています。
時折、からだから力が抜け落ちていくようです。
この悲しみは幻なのでしょうか。
それとも、母の枕辺で過ごした11年そのものが、
夢だったのでしょうか。
行くあてのない空っぽの心に、
無けなしの元気を添えて、
今、空に向かって大きく手を振りましょう。
さようなら・・・
私の母さん・・・
平成25年 1月 忘れ得ぬ日
* * * * *
母が亡くなってから百ヶ日が過ぎた。
時の流れと共に、少しづつ心身が癒されていくのを感じるが、
何かの折、胸がしめつけられるような痛みを覚えることもある。
「気晴しに仕事でもしたら・・・」と、心優しい知人が
仕事を持ってきてくれたりする。
有難いことである。
が、しかし、その気はみじんもない。
少し落ち着いた今、私が一番したいこと。
それは、亡き母の“願いを叶えること”だ。
では、母は私に何を願い、望んだか・・・。
話は逆のぼるが・・・
私は小学生の頃から近所の医院で薬包みの手伝いをしていた。
幼い子供だから、賃金の代わりに、海苔だの缶詰めだのを受け取って、
それを生活費の足しにすることもあった。
そのうち、点数計算の仕方を覚え、子供ながらも私は分厚いカルテの
山積みを、手早く片づける術を身につけていった。
酒乱の父と病弱な母との間で心身を磨り減らしながら、
やがて高校を出たが、その後、銀行勤めの仕事を選んだのも、
少しでも給料が高ければ、苦しい家計の埋め合わせになると
判断したからだった。
NTTへ転職してからも、仕送りは続けた。
そして、40才でフリーとなり、54才になるまでの14年間、
私は概ね人の三倍は働らいた。
少しでも父や母の助けになればと、一心不乱に働らいた。
54才になった時、その父と母が共に要介護となり、
私はすべての仕事を振り捨てて、介護に専念した。
そして今日までの11年間、父母を施設に預けることも、
デーサービスを利用することもなく、4000余日、無休で在宅介護をした。
気がつけば、私はいつの間にか65才になっていた。
介護をするために、郷里の岐阜県から、私の住む名古屋へ
両親を呼び寄せた日に、母は私に言った。
「私が、何もわからなくなってしまう前に、
あなたに伝えておきたいことがあるの・・・」と。
そう言って母から渡された一束の預金通帳。
私が仕送りを続けた筈のほぼ全額が、
そこに入っていたことを知ったのは、その時であった。
父と母が病気で入院した時の費用を除いて、ほぼすべての金額が
その色褪せた通帳に埋められていた。
貧しくも、母が笑顔を絶やさなかったことで、
私はそれを見逃したようだった。
「あなたの将来が心配で・・・。困った時に役立ててほしい・・・」
満足なものも食べず、どこへも出かけず、自らも働らきながら、
日々の暮らしをギリギリに切り詰めて、ほんとうに困った時以外は、
私のお金に一銭も手をつけなかった母。
「なぜ・・・」と言うより、「これが母親・・・なのか」と、
私は言葉を失なった。
私は、お金というものはある種の“愛”だと信じてきた。
それは今も変わらないが、しかし、“お金”より確かなものが、
“献身”であることを、私はその時学んだ。
ずっと傍にいて、私にできることは何でもしてやりたい・・・。
そうして時は流れ、母と私は今年、正月を迎えた。
介護を始めて11年経つが、この先何年介護を続けても、
私は構わないと思った。
私の力が尽きて、母と一緒に天国へ行くことになっても、
この暮らしが充ち足りていたゆえに、私はそれでよかったのだ。
「きょうまで働らき詰めだったあなたに、私が一番あげたいものは、
山ほどの休息よ」
事あるごとに、そう洩らしていた母の言葉が、きょうも聴こえてくる。
私が今、ここに手にしているもの。
それは、母が自分の命と引きかえにくれた“山ほどの休息”である。
“母の願い”を叶えないわけにはいかない。
私はきょうも、新緑の美しい舗道で何度も立ち止まりながら、
風にゆらめく樹々を見上げては、
ゆっくり午後の散歩を楽しんでいる・・・。
平成25年5月 移ろう季節のなかで、母に感謝しながら・・・
今回の山村さんのエピソードは先日の
【ビートたけし氏とお母さんの感動秘話】と
内容が重なりますが、親子共にさらに想いの強い
エピソードで涙を誘います。
山村さんは本当に苦労を重ねました。
良ければ、以下の過去記事(リンク)も読んでみてください。
【お父さん。仏様にお願いでもしたのですか】
【落花の風情】
Posted by 木鶏 at 21:00│Comments(0)
│致知(感動話)