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2016年04月08日

◆ 登呂遺跡が日本人に残したもの ◆


大塚 初重(考古学者)
『致知』2016年3月号
連載「生涯現役」より
────────────────────────────────────

戦後、夢を失いかけていた
日本人に夢とロマンを与えてくれた
遺跡の大発掘がありました。

教科書にも必ず出てくる
あの登呂遺跡です。

当時の熱気が伝わってくる
考古学の第一人者・大塚先生の
お話に胸が熱くなります。

   *   *   *   *   *   *

指示されたところを掘っていくと、
木の杭が次々と出てくるんですよ。

でも最初はまさかそれが
2,000年前の杭とは思わないわけだけど、
どうやら弥生人が遺した
住居の周りに打ち込んでいた木だ
ということが分かってくる。


我われの先祖が、
静岡平野の一角で山から
伐り出してきた木を
打ち割って細かい杭にして、
それを住居の周りの壁に営々と
打ち込んでいたものを掘っているとね、
だんだん涙がこぼれてきた。
  

──涙が。


日本は戦争に負けたんだけど、
遠い昔からこの地に
我われ日本人が住んでいて、
その跡をいま自分たちの手で
掘り出しているんだという感動は、
お金とか食べ物とかってことと関係なく、
心が綺麗に洗われるような思いでした。


──遺跡の発掘が夢を
  与えてくれたわけですね。


実際、登呂遺跡の発掘というのは
戦後日本における最初の大発掘でね。

昭和22年の7月13日に発掘が始まって、
翌月6日には皇太子殿下が
現場に来られているんですよ。


そうしたら皇太子殿下が
見に行かれたというので、
今度は代議士たちも
10何名で見学に来ましてね。

その後も歌人の佐佐木信綱先生とか
有名な作家さんをはじめ、
全国から見学者が次々と
発掘現場に訪れたんです。


──それはすごいですね。


だからこんな遺跡、他にはないですよ。


そういう意味で登呂遺跡の発掘が
日本人の心に触れたというか、
敗戦国日本に生き甲斐を
与えたのではないかと
いまでも思っているんです。

それに国民全体がこれから
どうやって生きていけばいいのか
という時期に、東京の各大学が合同して、
食い物も十分にない中で
学生たちがすきっ腹で懸命に
掘っているということが、随分と
国民に感動を与えたようですね。


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