2013年01月07日
【名刀の如くありたい】
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
折れまい
曲がるまい
それでいて切れ味は
名刀の如くあろう
そうあるためには
とことん鍛え上げねばならぬ
時には身を焼かれ
時には心が凍えようとも
抗いもできずに打ちのめされ
叩き伏せられようとも
唯唯進むのだ
足を止めれば重みに沈み
逃げ込んだ穴蔵に先など無い
その歩み遅々と言えども
前に進んでこそ
より高みへの道が拓かれるもの
我が身に降り来る
あらゆる艱難辛苦は
己が心身を鍛えるがため
繰り返し繰り返し
振り下ろされる鎚に他ならぬ
その刀匠は天であり
また我である
日本刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」と言われる。
無論、日本刀にも質の良し悪しは雲泥の差がある。
それは材質の鉄自体や刀の製法が違うからであろう。
これは図らずも人に例えられるではないか。
鉄の材質は人の素地素養、刀の製法は人の鍛錬学び。
素地素養は特に幼少からの躾・教育によって形作られるものとし、
鍛錬学びは自ら考え判断し得る年齢になってからの
実経験や自己啓発、様々な教育によって練り作られていくものと
当てはめてみる。
素地素養は親や子供の頃の環境に左右されるので、
何ともしがたい部分であるが、鍛錬学びは己次第で
如何様にもできる。
容易に折れ曲がる数打ち物の刀とは違い、
本当に「折れず、曲がらず、よく切れる」名刀は、
それに相応しい製法・鍛え方によって生み出される。
焼き、冷し、打ち、敲(たた)きを何度となく繰り返し、
“本物”は出来上がっていくのである。
焼き冷しで強靭さ高め、打ちで不純物を無くし、
敲(たた)いて強さと粘りを持たせていく。
人も同様――
時には焼かれるような苦悶、時には凍えるような絶望、
時にはどうしようもない困難に叩きのめされる経験をし、
それでも負けず屈せず立ち残った時こそ、
降りかかる災難にもその心が折れず、辛い環境に陥っても
逃げて道を曲がらない強靭な芯が出来上がっていく。
その道程で物事を悟る力、解決開拓する力を俊敏に行動へと移せる
名刀の如き切れ味良い“人物”へと熟成させることができれば、
言うことなしである。
ただ、注意が必要。
いつも抜き身ではいけない。
いつでもどこでも切れ過ぎは危険危険。
使い時を選ぶためにも鞘は必要、
時には鈍(なまく)らであることも重要なのである。
全ては表裏一体、重々弁えておかなければならない。
と、これを書き留めた後に
『二宮尊徳一日一言』に類似の言葉があるのを
知ったので、添えさせていただく。
「鋼鉄は焼き、冷し、打ち、敲(たた)き、
焼き、冷し、打ち、敲きて而して後、
始めて折れず曲らむるものとなるなり
人も亦斯くの如し」
Posted by 木鶏 at 21:00│Comments(0)
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