2012年08月29日
【三屋清左衛門残日録の読後感】
小説が好きで色々なジャンルのものを読みますが、
時代小説の内、ハズレが無く好きなのが藤沢周平です。
初めて読んだ藤沢周平作品は「三屋清左衛門残日録」でした。
家督をゆずり、離れに起臥する隠居の身となった三屋清左衛門が、
日録を記すことを自らに課すのですが、世間から隔てられた寂寥感、
老いた身は悔恨に襲われます。
しかし、藩の執政府は粉糾の渦中にあり、図らずと関わることになる。
お家騒動のごたごたが解決して、家老屋敷からの帰りのシーンを
ここで紹介します。
子供の頃からの気の置けない友人で、中風になって身体が不自由な
平八を見舞う主人公が、平八の姿を見て貴重な教えに気付くのです。
清左衛門は橋を渡った。
そして、ふと平八を見舞って行こうかという気になった。
河岸の道を少し南に下がると、大塚平八の家に行く道に出る。
暮れに見舞ったときに、平八の息子の嫁が、
お医者には少し歩くとよいと言われているのですけれど、
と舅の無気力を嘆くように言っていたのが思い出された。
しかし、この冬の大雪では、よしんば歩く気になっても、
外には出られなかったろう。
清左衛門は、青白くむくんだ顔をして、言葉も少なかった
平八を思い出し、また少し気持ちが沈むのを感じた。
路地をいくつか通り抜けて、清左衛門は大塚平八の家がある道に出た。
そして間もなく、早春の光が溢れているその道の遠くに、
動く人影があるのに気付いた。清左衛門は足を止めた。
こちらに背を向けて、杖をつきながらゆっくりゆっくりと
動いているのは平八だった。
ひと足ごとに、平八の身体はいまにもころびそうに傾く。
片方の足に、まったく力が入っていないのが見て取れた。
身体が傾くと平八は全身の力を太い杖にこめる。
そしてそろそろとべつの足を前に踏み出す。また身体が傾く。
そういう動きを繰り返しているのだった。
見ているだけで、辛くて汗ばむような眺めだった。
つと清左衛門は路地に引き返した。胸が波立っていた。
清左衛門は後を振り向かずに、急いでその場を離れた。
胸が波立っているのは、平八の姿に鞭打たれた気がしたからだろう。
――そうか、平八。
いよいよ歩く習練を始めたか、と清左衛門は思った。
人間はそうあるべきなのだろう。
衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめた
すべてのものに感謝をささげて生を終えればよい。
しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間は与えられた命を
いとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、
そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。
家に帰りつくまで、清左衛門の眼の奥に、明るい早春の光の下で、
虫のようなしかし辛抱強い動きを繰り返していた大塚平八の姿が
映って離れなかった。
そして家に帰りついた後、息子の嫁との会話のやり取りを、
こう結んで物語は終わります。
清左衛門は機嫌よく、もうひとこと付け加えた。
「平八が、やっと歩く習練をはじめたぞ」
何と前向きで気持ちの良い読後感でしょう。
ささやかな日常の中に力強く爽やかなメッセージが
込められているような感じがします。
人のあるべき姿の一つを見事に映し出してますね。
私もそうありたいと思います。
Posted by 木鶏 at 21:00│Comments(0)
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