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2012年11月06日

【いのちの大切さ】

以前のブログでも紹介しました特別支援学級教諭の
山元加津子先生は「私たちは、深いところでつながっていて、
みんなでひとつの命を生きている」と仰っています。

これは人間だけではなくこの世の全てのことだと感じます。

大きく言えば、自然破壊や他の生物が急速に絶滅しいてる現状、
身近で言えば、犬や猫のやむを得ない処分。
これらは人間の身勝手が生み出したものですが、
山元加津子さんの言葉が真理ならば、自ら首を絞めていることに思えます。
本当に大変なことをしてるのではないでしょうか。


人間は霊長類であり、生物の頂点にあります。
しかし、果たして霊長と称するに相応しい存在でしょうか?
弱肉強食という低い視点での頂点ではないはずです。


まあるさんのブログの「金木犀の香る空に」で紹介されている内容には
胸がつまりました。
とあるブリーダーが放置したたくさんの犬たちの惨状。
どんな理由があれ、「いのち」を物としてしか扱っていないような気がします。
そこには心の貧しさしか感じられません。

しかし、捨てる神あれば拾う神もあります。
まあるさんたちの活動は正に拾う神そのものでです。

犬や猫の殺処分についても考えさせられます。
その死にどんな意味があるのか。

極端な例ですが、
仮に私がアフリカでライオンに襲われて、
生きながらに食べられたとしましょう。
悲惨で酷い死に方ですが、明確な意味があります。
ライオンは彼らの境涯に従って生きるために
相手を殺しています。
その時、私の身も他の命の糧となるのです。
これは自然の法則に反するものではありません。

一方の殺処分は単純に人間のエゴの産物です。
目も開いていない子猫が何も知らずに処分される。
この子猫は、そのために生まれてきたのか?
この所業、天に対して理の通った説明ができるものではありません。
霊長の境涯は本来、獣よりも高くあるはずです。

しかし、職員の方々は好き好んで処分するはずもなく、
この社会の仕組みの中では誰かが背負わなくてはいけない業、
それを引き受けてくれていると考えるべきでしょう。

犬や猫など動物を飼われた方なら経験があるかと思いますが、
そうした動物たちに見えない多くのものを、人間こそが与えられているのです。

「私たちは、みんなでひとつの命を生きている」
この言葉、改めて心に置き直したいと思います。



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Posted by 木鶏 at 21:00│Comments(2)会員独語
この記事へのコメント
マハトマ・ガンジーの言葉にもあります。

「国の偉大さ、道徳的発展は、
 その国における動物の扱い方で判る。」

動物の福祉を考えるセンスは、動物愛護のみならず、人間の福祉や人権問題、平和維持の問題へもつながっていると思うのです。
”同じいのちを生きている”その仲間を傷つけることは、人間自身を傷つけていくことにつながるのでしょうね・・・
Posted by まあるまある at 2012年11月06日 23:07
弱者や下位のものに対する扱い、接し方で、その人や組織の本質が知れます。
だからこそ、その本質を高めることが必要ですね。

他者を傷つけるれば結局自ら傷つく、
他者を喜ばせば自らを喜ばせることになる。
これは深い道理です。
Posted by 木鶏木鶏 at 2012年11月07日 12:26
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