2013年08月29日
【東尋坊の命の番人を任じて】(前編)
茂 幸雄(NPO法人 心に響く文集・編集局代表)
『致知』2009年4月号
特集「いまをどう生きるのか」より
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あれは忘れもしない、
平成15年9月3日午後6時頃のことでした。
署が管轄する東尋坊をパトロール中に、
四阿(あずまや)で1組の老カップルが
休んでいるのが目に留まりました。
明らかに自殺目的と分かったため声をかけると、
果たして2人の手首はためらい傷からの
少量の出血で赤く染まっていました。
聞けば、東京で事業に失敗し、
借金を抱えてどうしようもなくなって
東尋坊に来たというのです。
「死ぬことはないよ。
行政は必ずあなたたちを助けてくれます。
私のほうからも頼んであげるから」
と諄々(じゅんじゅん)と諭したところ、
2人の表情は明るくなり、
「もう一度やり直します」と言ってくれました。
安堵した私は、病院で2人の手当てをしてもらい、
地元の福祉課に後事を託したのです。
その時まで私は、日本は福祉国家であり、
公機関である福祉課の仕事は
国民の命を救う最後の砦であるので、
必ず2人の命は助かると信じていたのです。
数日後に届いた冒頭の手紙に、
私は愕然としました。
後事を託した福祉課から、
1人わずか500円で追い払われた2人は、
その後3日3晩野宿をしながら東京に向かい、
沿道にある7か所の行政機関を訪ねましたが、
いずれも同様の仕打ちを受けました。
絶望した2人は、
新潟県内の神社境内で
首つり自殺をしてしまったのです。
役所の対応を非難する気持ちは当然ありました。
しかし私の心中では、
2人に対する強い自責の念が渦巻いていました。
あの後、2人はどのような思いで
新潟まで歩いたのだろう。
自分が関わったばかりに、
2人にはもう一度苦しい思いをさせてしまった。
結果的に一層過酷な状況に追いやってしまった私は、
2人には鬼に見えたのではないか。
「この様な人間が三国に現れて
同じ道のりを歩むことのないように
2人とも祈ってやみません」
遺書の最後の言葉はいまだに私の脳裏から離れません。
翌平成16年3月、
私は警察を定年退職することになりました。
私を好条件で求めてくれるところは
たくさんありましたが、
そういうところに進んでしまえば、
2人の命懸けの訴えから逃げることになる。
私の心は決まっていました。
同年4月、私はNPO法人
「心に響く文集・編集局」を立ち上げ、
東尋坊の水際での自殺防止活動に
本格的に取り組むことにしました。
(後編)につづく
Posted by 木鶏 at 21:00│Comments(0)
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